母は、がんに対して積極的な治療を受けようとしなかった。そして、家族は母の意思を尊重した。どうしようもないことだったけれど、受け止めるのはつらく、少しでも何かをしたかった。 調べていく中で漢方に行き当たった。がん研有明病院の星野惠津夫先生の本を読み、漢方を用いることで、緩和ケアの段階の患者にも効果が生じうることを知った。...
残された時間を知った母は、最初の入院より戻ってくると、猛烈な勢いで「終活」を始めた。 まず、私と妹にアクセサリーやブランド品などを分け与えた。そして、定期購入していた化粧品を解約し、エアコンとキッチンのクリーニングを手配した。そのうち買い替えようと思っていたもの、例えばポット、カーテン、座椅子、ハンディースチーマーなど...
病気がわかってまず必要だったのは、父と母に携帯を持ってもらうことだった。 両親はこれまで携帯を使ったことがなかった。好奇心の強い母がスマートフォンに興味を持っていたので、まず1台、いわゆる「かんたんスマホ」を契約することを考えた。 母が懸念していたのは、高齢の父の手が震えてタッチパネルで入力できないことだった。私のiP...
私の母は70歳で他界した。 2016年6月の始め、母が末期のがんに罹患していることを知らされた。父と母は話し合い、抗がん剤などによる積極的な治療を受けないことを選んだ。いわゆる「緩和ケア」、痛みを抑える治療を受けただけだった。 最後の入院までの3か月、母は自宅で過ごした。背中の痛みが強くて外出できず、ほとんどの時間はベ...
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