父と母がスマートフォンを持つと、妹がメッセージのグループを設定してくれた。iPhoneのメッセージの機能がシンプルだったこともあり、2人は思いがけなくすぐに慣れた。 交わされるメッセージは些細なこと。朝のあいさつ、食べたもの、動物の画像、変なニュース、仕事が終わった知らせ、おやすみのあいさつ。 母の体調が悪くなるにつれ...
母のいた日々の記事一覧
母の育てていた植物は3つ。ベランダに置かれた身長ほど高さのあるミモザと、膝の高さくらいのラベンダー、そして室内にある大きなパキラ。 起き上がるのが辛くなってきた母の世話と慣れない家事で余裕がなかった父は、ラベンダーの水やりをついにあきらめてしまった。 根元はまだ生きている。枯らす覚悟で育ててみることにした。 手で運べる...
病気がわかってから、母が家で過ごしていた頃のこと。 家族4人が集まると、寿司の出前を取ることがよくあった。この町で一番の、ずば抜けて味が良く、昔はタクシーに乗って食べに行った店。その後も繁盛していたようで、出前専門店ができていた。 寿司を食べようと誘うのはたいてい父で、注文は決まって「地魚にぎり」。鰺と卵焼きと、・・・...
母の最初の入院を知って実家に帰ったとき、まず心配したのは冷蔵庫の中身のことだった。 「ぬか床!」 慌ててかき混ぜた。急な入院だったこともあり、きゅうりが漬かったままだったが、ぬかは無事だった。 退院後、母は自宅で療養していたが、時々はキッチンに立っていた。その頃、ぬか床の手入れについて訊ねた。 一通り教えてくれたあとに...
母は、がんに対して積極的な治療を受けようとしなかった。そして、家族は母の意思を尊重した。どうしようもないことだったけれど、受け止めるのはつらく、少しでも何かをしたかった。 調べていく中で漢方に行き当たった。がん研有明病院の星野惠津夫先生の本を読み、漢方を用いることで、緩和ケアの段階の患者にも効果が生じうることを知った。...
残された時間を知った母は、最初の入院より戻ってくると、猛烈な勢いで「終活」を始めた。 まず、私と妹にアクセサリーやブランド品などを分け与えた。そして、定期購入していた化粧品を解約し、エアコンとキッチンのクリーニングを手配した。そのうち買い替えようと思っていたもの、例えばポット、カーテン、座椅子、ハンディースチーマーなど...
病気がわかってまず必要だったのは、父と母に携帯を持ってもらうことだった。 両親はこれまで携帯を使ったことがなかった。好奇心の強い母がスマートフォンに興味を持っていたので、まず1台、いわゆる「かんたんスマホ」を契約することを考えた。 母が懸念していたのは、高齢の父の手が震えてタッチパネルで入力できないことだった。私のiP...
私の母は70歳で他界した。 2016年6月の始め、母が末期のがんに罹患していることを知らされた。父と母は話し合い、抗がん剤などによる積極的な治療を受けないことを選んだ。いわゆる「緩和ケア」、痛みを抑える治療を受けただけだった。 最後の入院までの3か月、母は自宅で過ごした。背中の痛みが強くて外出できず、ほとんどの時間はベ...
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