あの頃は、沼のように静かで深い悲しみが、部屋を満たしていた。
几帳面で秩序を愛する父。
一人で暮らすようになっても規則正しい生活が続いている。
決まった時間に起き、日中はPCで作業をしたり、ベッドに横になってテレビを見たり。
決まった時間に買い物に行き、大相撲を見ながらお弁当をあてに晩酌。
一日の終わりには写真の母と会話し、早めに床に就く。
母がいなくなり、父が体調を崩さないか心配していたので、それまでの生活のリズムが維持されたことにまずはほっとした。
母はぎりぎりのタイミングで父に家事の仕方を仕込んでいった。
その猛特訓のおかげで、洗濯、掃除、ゴミ捨ては問題なく自分でできる。
料理は基本的にするつもりはないらしい。
自炊してくれればありがたいけれど、食欲が落ちなかっただけでも良しとしよう。
娘の訪問を何よりの楽しみとして、準備のために一週間を過ごしている。
遺品の整理や手続きが一段落した頃、何かをきっかけに、父の意識が変わった瞬間があったのだと思う。
荒れ地を開墾するように、父が手を動かしはじめた。
病院嫌いの父が、高血圧の治療のついでに健康診断を受けた。
家の小さな納戸に何十年もあった不要品、例えば大きな台秤、セメント、ペンキなどを、こつこつと少しずつ処分していった。
作業が終わったベランダをクレンザーと雑巾で磨き上げた。
手洗いを教えるとセーターを洗って平干しにし、衣更えも済ませた。
シーツなどの寝具やカーテンを1枚ずつ洗っていった。
新しく買ったコードレスの掃除機が気に入り、ダストケースを洗って手入れをした。
野菜を炒め、とろみをつけて、かた焼きそばの具にした。
バスで町まで出て小料理屋を探した(良い店がなくこれは空振り)。
私と二人で新幹線に乗って大阪へ行き、騒がしいカウンターの店でどて焼きを食べた。
甥っ子や同居人が家にやってくるようになると、古い資材を出してきて、テーブルの天板を大きくした。
5人揃った賑やかな正月を過ごした。
都内に泊りがけでやってきて、大きな刺身盛りを皆で楽しんだ。
「決めた。俺が80歳になるまでにシンガポールへ行く。」
ゆるやかに再構築されてゆく、新しい秩序、新しい習慣、新しい関係性。
父には、父らしい生きる強さがあった。
その目は確かに未来を向いている。