ひそやかな「上書き」

母の死後、私がひっそりと進めていたことがある。
父が気が付かないくらい小さなところから、実家に残された母の気配を「上書き」していたのだ。

この家の思い出に父の心が押しつぶされてしまわないように。
まるで秘密の花園のように、こっそりと、濃密すぎる気配を薄めていった。

最後の夏、母が思うように食事を取れなくなった頃に口にしていた冷凍庫のアイスやジュース。それらを夏中かけて少しずつ食べ尽くしていった。
洗面台にあるスキンケア用品や浴室のシャンプーやボディーソープを片っ端から使い切った。
読める本は読み、使える道具は何もかも使った。
趣味だった洋裁や編み物の道具を押し入れや棚から出し、いずれ私が使うときのために整頓した。
母の作ったパッチワークのポーチや旅先で買ったカゴを日々の生活で使った。
たくさんある鍋でいろいろな料理を作り、あらゆる食器を使って盛りつけた。
部屋着やパジャマ、インナーなど、着られる服は着つぶした。

食器
シンガポールで使っていた皿、タイで買った小皿、私が持ち込んだ小鉢…。

私もまた、母の持ち物を捨てることを躊躇していた。
この家から母のものをなくしてしまったら、押し入れやたんすが空っぽになってしまう。
父はすぐにでも遺品を処分するつもりだったが、実際にそうしたらがっくりきてしまったことだろう。

残されたものをじわじわと使い切っていくことは、私にとっても緩やかなグリーフケアとなった。
薄いレイヤーを重ねるように、少しずつこの家の彩度を上げていく。

実家との行き来が通例となり、私の滞在日数が増えてくると、さらに快適に過ごせるように装備を強化していった。

新しい箸をおろし、マグカップとルームウェアを買った。
電動歯ブラシやドライヤー、充電ケーブルやマウスパッドなど、普段使う道具は思い切って実家用にもう1セット買った。洗面所や浴室に私の持ち物が増えていった。

食器や調味料入れ、シャトルシェフなど、必要なものを少しずつ買い足し、キッチンのものの配置を使いやすいように変えた。あるものを活用し、動線を整理するために、今後使う予定のないものは少しずつ処分した。

私がこつこつと進めていたことは、娘だからこそできること。
母と暮らした楽しい思い出を残しながら、生きている人が快適に暮らせるようにコンパクトに家の中を整えていく。

そうしているうちに、新しい生活の賑わいが自然に生まれはじめた。

トールペイント
母はトールペイントの上級講師のライセンスを持っていた。大きなプレートが何枚もある。

押し入れにしまわれていたトールペイントの作品を出してきてリビングに飾ると、母の写真の周りが華やかになった。

モンステラとパキラ
モンステラに至っては、はじめは一枚の葉っぱだったのだ!

植物が増えてしまったのはゆかいな誤算だ。
母のパキラに加え、私の持ち込んだパキラと妹が茎から増やしたモンステラが几帳面な父の世話で大きく育ち、部屋の中に大きな植木が3つも揃った。
この様子には母も目を丸くしているのではないだろうか。

私や妹に加え、甥っ子たちや同居人も実家に来るようになった。
父は昔のテーブルの大きな天板を引っ張り出して食卓を拡張した。


3年経ったらものへの執着がなくなり、遺品を抵抗なく処分できるようになった。
使わないものはなるべく処分したいというのは父の意向でもある。
母の靴を処分すると下足入れに空いたスペースができたので、私のランニングシューズを入れた。

遺品の整理はいまだに進行中だ。
私の気が向いたときに服や小物を引っ張り出してきては、大笑いしながら父と仕訳をして、時間をかけて処分している。

ある日、父が言った。
「ママの部屋をぐるっと見ていたら、『ここはあんたの部屋になった』と思ったよ」

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