まさか私が自分の作った料理を世の中に公開するなんて。
そして、誰かに食事を振る舞うようになるなんて、若い頃の私が知ったらどれほど驚くだろうか。
そのくらい料理に苦手意識があったし、ほとんど何もできなかった。
母がいた頃、数年ぶりに会うようになった私がキッチンに立つ様子を見て、「あんたは料理がダメな子かと思ってたわ」と言った。
それなりに料理をするところを最後に母に見せられてよかった。
「お父さんの健康を気にしてくれてるんだろうけど、味付けはもう少し濃くしてもいい」。母はどこまでもドライ。
実家にいた頃は、全くと言っていいほど手伝いをしない子だった。
母は共働きで余裕がなかっただろうし、自分の領域を乱されるのを嫌うから、何も言わなかったのだろうけど。
大学生になって一人暮らしを始めても、彼氏ができても、主婦になっても料理は苦手だった。
そして、社会人になると、ごはんを作る気力も食べ物への情熱もなくなった。
夜遅くに職場から帰ってくると、ワンルームの部屋で冷蔵庫を開け、きゅうりを1本丸かじり。
野菜ジュースとカロリーメイトには随分お世話になった。
スーパーは今ほど遅くまで営業していなかったし、コンビニの弁当にも早々に飽きた。
気力も体力も尽き、何を食べようか考えるのも面倒だった。
ぼーっと一人でテレビを見ながらカロリーを摂取する。当時の私に温かいごはんを届けたい。
仕事でも家のことでも、それなりに技術を学び、経験を積んで乗り越えきた。
どうして料理ばかり、そんなにまでできなかったのか?
まず、何より強烈な「苦手意識」があった。
そもそも作る回数が少なすぎた。これでは自信がつく訳がない。
料理上手の友達を見て、勝手に疎外感を感じて苦手になっていったようなところもある。
そして、若い頃、特に仕事が忙しかった時は精神的に疲れていた。
料理には高度な段取りの力が必要だ。
今でこそ手が勝手に動いて自動運転モードになるけれど、こころが弱っているときにはそれが困難で、達成できないことのように思えた。
夜のスーパーをうろうろしながら、途方に暮れて、涙がにじんだ。
そして、料理をしないまま40代に突入してしまう。
転機は突然やってきた。
その1つは同居人の病気だ。
知れば知るほど怖くなったし、ショックで何を食べればいいのかわからなくなった。
調味料からおやつまで、塩分と添加物の量が気になって仕方がなかった。
安心して食べられるものは自分で作るしかない。
その頃ブームになった作り置きのおかず作りを始めた。
「これから好きなものを思うように食べられなくなる」と思った経験が、今の私の食に対する強烈なな執着を生んだ。
(幸い経過が良く、今は塩分を気にする程度で制限なく食べている。)
もう1つの転機も突然やってきた。
実家の父にごはんを作ることになったのだ。
週に2〜3日だけ実家で料理をするので、材料を使い切る必要がある。
食材を組み合わせるセンスや知恵を身につけた。
同じ素材で次の日に別の料理を作ることがよくあるので、レパートリーも増えた。
父の血圧が心配で塩分を控えていることもあり、酢の物や甘いおかずを作るのが上手になった。
実家はキッチンが広くてやる気が出る。
父は驚くくらい褒めてくれるし、予算もふんだんに(!)使える。
地場の野菜、新鮮な肉や魚が手に入る。
焼酎をほんの少しだけ飲みながら、17:00の夕食に向けて昼過ぎからのんびり作っている。
同居人や甥っ子が実家に来るようになり、4人分のごはんが作れるようになった。
私が人にごはんを作るなんて。
どうだ、母よ!見てる?
転機のたびに、神様に「料理をしなさい。そうすれば道は開ける。」と言われている気がした。
Twitterで写真を見てもらえるのも励みになっている。
食事が冷めない範囲で、なるべくきれいに、おいしそうに作ろうと心がけている。
実は、自宅にいる時にはあまりキッチンに立たない。
都内で大人2人暮らしだと、外食もするし、惣菜や弁当も買うし、朝食も気まま、いいかげん。そのうえ同居人は料理上手だ。
料理好きのような顔をして写真をTwitterで公開するのが恥ずかしくなる時がある。
これから、作りたいものがいっぱいある。
経験の少ない揚げ物にも挑戦したい。
調理道具も食器も欲しい。
作ったものを「おいしい」と食べてもらうのはうれしい。
皆に見てもらうのもとてもうれしい。
食べ物に気持ちが向いているのはこころが元気な証拠。
料理は「好き」でも「得意」でもない。
でもなんとなく「できている」。
料理と和解できてよかった。
安くておいしくて身体に良いものが常に食べられる。いいことづくめだ。