できたこと、できなかったこと〔双極性障害のうつ回復期〕―9年経って思い出す

ニュースサイトのある記事を見ていたら、昔のことを思い出した。

それは、うつが抜けていく感覚や、その頃の日々の様子だ。

以下は、私のためのメモとして書き留めたもので、内容もとりとめがないが、思いがけなくまとまった量になったので記事に残しておく。

もくじ

あの頃の私:億劫感との戦い

9年ほど前のこと。当時、私は夫と暮らしていた。
それ以前の14年間に繰り返した「うつ状態」からの回復期にあった。

〔注〕当初、診断は「うつ病」だったが、何年も経ってから「双極性障害」に変わった。この記事での「うつ」は双極性障害のうつ状態を指す。双極性障害については下記のリンク先に詳細あり。

そのときのうつの期間では、泣いて暮らす日々からは意外と早く抜けられたが、その後、長い億劫感に苦しめられた。

あの頃の私ができたことと、できなかったこと。例えばこんな感じだ。

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最初にできるようになったこと

  • 下着を着替える
  • うがいをする
    (マイルール「歯みがきができなくてもOK」)
  • 風呂の湯に浸かる
    (マイルール「毎日入らなくてもOK」「途中で嫌になったら出てきてもOK」)

うつがひどい頃、会社に行っていたのに、どうしても毎日風呂に入ることができなかった。

  • 豆乳をレンジで温めて飲む
    (飲んだ後のマグカップを水につけられればなお良し)
  • 包丁のいらないフルーツを食べる
    (みかんやバナナなど)
  • サプリメントを飲む
    (服薬のついでに。アミノバイタルやビタミンBなど)
  • 冷凍パスタを食べる
    (ひとりの昼食でよく食べた。食器を水につけられればなお良し)
  • ネットサーフィン
    (くだらなくて笑えるもの、軽い内容のものがいい。ネットニュース、ゴシップ情報、2ちゃんねる(!))

体調が悪くてもずっと寝ていることはできない。目が覚めている長い時間がある。
何かで暇を潰さないといけない。それなのに集中力も根気もない。テレビを観るのも音楽を聴くのもつらかった。
家族が夜に帰宅するまで、ひたすらネットを見ていた。

  • 窓際に座って光を浴びる
    (「ひじの裏を日光に当てるとよく眠れる」と聞いたのでまじめに当てていたのだが、あれは何だったのだろうか?根拠となる情報が発見できない)

少し回復してからできるようになったこと

  • エッセイを読む
    (近所の図書館に行けるようになったので借りてきた。小説や新書は情報が処理できず、読んでも文字が頭をすべるばかりだった)
  • 包丁で皮をむくフルーツを食べる
    (りんごをレンジで加熱して食べるのが好きだった)
  • 1人でランチを食べる
    (月に1度の外出だった通院の帰りに)
  • 休日に家族と散歩する
    (1人でウォーキングができるようになったのはずいぶん後のことだ)

かなり回復するまでできなかったこと

  • 料理
    (ひどいときはお湯をわかすのがやっと。最低限の洗い物を無理やりしていた)
  • 片付け
    (ゴミをゴミ箱へ、食器をシンクへ、洗濯物を洗濯機へ持っていくのが精一杯)
  • 掃除機をかける
  • 大物の洗濯
    (日常着るものの洗濯はなんとかできた)
  • 布団干し
  • アイロンがけ
  • スーパーでの買い物
    (値札の情報が理解できなくなり、何も買わずに帰ってきてしまった)
  • 新聞を読む
    (それ以降、読むのが苦手になってしまった。今でも気が向いたときだけ目を通す程度)
  • 勉強
    (焦って英語に手をつけてみたものの、空回りするだけ)
  • 人と会う
    (クラス会の誘いも断った。欠席の連絡をするのがやっと)
  • 電話
    (友人の悩み相談にのっていたが、心の重荷だった)
  • メール
    (簡単な内容であっても返信することができなかった)
  • 手続き
    (仕事を辞めた後、自宅に届いた離職票をそのままに。ハローワークに行けたのは1年以上先のことだった)
  • 予約
    (それでもカットにはがんばって行っていたような…?)
  • お金の計算
    (考えると具合が悪くなる)
  • 植物への水やり
    (毎日コンスタントに何かをするのがつらい)
  • 趣味
    (「楽しいことをしよう」と憧れのロックミシンを思い切って買ったのに、3年の間、箱を開けることもできなかった)
  • 義実家への帰省
    (ただ、もう、つらかった…)

なんとなく、イメージが伝わればいいのだが。

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あの頃、私はまじめすぎた。
頭の中で情報が整理できず、やるべきことがどのくらいあって、どの順序でどうやって処理していったらいいのか、まるで把握できていなかった。

軽い運動でうつの症状が改善されることはわかっていたけれど、ウォーキングに行くには、お風呂に入って、髪を乾かして、眉を描かないといけない。それが果てしなく遠いことのように感じた。


泣いて暮らす日々を抜けたあと、最後に長い長い億劫感が続いた。
ここがいちばんのがんばり時だった。

うつの人に「がんばれ」は禁句だとよく聞くけれど、最後は自分でがんばらないと前には進めなかった
「三寒四温」、春が徐々に訪れるように、回復はまだらにやってきた。

最終的には、5ヶ月間のリワークプログラムの助けも借りて、人と会ったり、一日中活動したり、街で買い物を楽しんだりするような「社会的活動」ができるようになった。

車窓から見える風景

春のあたたかい陽気の中、電車に乗って街に出かける。
頭の中でずっとリフレインされていたのはこんな歌だ。

僕は
出かけるようになりました

僕は
みちなる方へゆきました

神聖かまってちゃん「美ちなる方へ」
作詞:の子

今思えば、家でネットサーフィンばかりしていた頃の私は、まだまだ体調が良くなかった。
それなのに「さぼっている」「努力が足らない」といつも思っていた。

今は、安全な場所へ戻ってきた。
ずいぶん遠くまでたどり着いたなぁ、と9年経って思う。

双極性障害と診断され、治療の内容が変わったのも、回復のきっかけだった。

あの頃から今まで、大きく体調を崩すことなく生活ができている。自分への信頼が戻り、これから先も症状が安定したまま生きていけるだろうという安心感を持てるようになってきた。

時間をセーブすれば仕事もできるし、
人生の大きな出来事にも立ち向かうことができた。
苦手だった料理もするようになった。

あの頃のことについては、また改めて。

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