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お供え

父の日課は母にお供えをすること。
小さなお皿に食事を乗せて母の写真の前に置く。

無宗教で母を送ったので、実家には仏壇がない。
代わりに、母の写真を乗せるスペースを父が手作りした。
家にあったガラスブロックに板を乗せ、母自作のキルティングを敷いた簡素なもの。
妙に家の雰囲気と合ってしまい、そのまま使われている。

端材の細長い板でコップやお皿の置き場所も作った。
まるで小料理屋のカウンターだ。

父の1日は母にホットコーヒーを淹れることから始まる。

母のマグカップは割れてしまったので、新しいカップを買った。
猫の小さなマグカップ。カウンターに乗せるのにちょうどいい。
母の好きな濃さに作ったコーヒーを置いて、朝の挨拶が始まる。

小さなコーヒーカップ

母の写真は父の座る場所からよく見える位置に置かれている。
食事をしながら父はずっと母と話している。
私がいないときはもっともっと会話するのだろう。

たとえカップラーメンや冷凍ピラフであっても、「ごめんね」と言いながらお供えする。
1日に食べる全ての食べ物が母の前に置かれていく。
正直、母も「それは好かん」「もういいわよ」と思うときもあるだろう…。

晩ご飯を作ってテーブルに並べると、まず私の写真撮影タイム。
「はい、どうぞ!」と解禁すると、父が小さく切ったおかずを一品ずつお皿に乗せておつまみセットを作っていく。
先に用意されていた熱燗のおちょこの横にお皿を並べて、父の「献立紹介タイム」が始まる。

「今日は○○ちゃんが作ってくれた、お肉と大根を煮たものと、トマトと、かぼちゃと…」
「もろきゅう、昆布が入っていまーす!」
「めしあがれー!」

この献立紹介が驚くほど適当で心配になるくらいだ。
正解はわかめの入ったきゅうりもみ。
父の背中越しに、私がずっと訂正情報を流し続けている。

「はっはっはー」とお構いなしの父。今日もご機嫌。

母の好きだったお寿司を出前で取った日は大騒ぎだ。
切らずにまるまる1貫お皿に乗せる。
果たして母は喜んでいるんだろうか?

全ての食事をお供えし続ける様子を見て、最初はどうしたものかと思った。
しばらく見守った結果至った結論は、「これは父が生きている限りずっと続く儀式」。

お供えは父と母のコミュニケーション。
食事を介して父は喜びや悲しみを母と共有している。
どこまでも付き合おうじゃないか。

病気がわかってから、母はみるみる食が細くなった。
父があれこれ考えて食事を調達しても、ほとんど食べることができなかった。

目の前で痩せていく母をずっと見ていた父。
今は少しでもおいしいものを食べさせたいのだろう。

「富山で日本海の魚を食べたいわと言っていたのに連れて行ってやれなかった」
「博多の屋台でおいしいものを食べて、それから釜山へ」

あら、いいじゃない。
写真の母を連れて、おいしいものを一緒に食べに行こう。


〔関連記事〕母のいたころの家族のこと。長いシリーズですが読んでいただけると嬉しいです。

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