なんちゃってデュアルライフ|東京~神奈川 |私のゆるやかな田舎暮らし

もくじ

都会と田舎の二拠点で生活する「デュアルライフ」

「デュアルライフ」や「二拠点生活」と呼ばれる新しいライフスタイルが注目されている。
「普段は都会で仕事をして、休日は郊外や地方の家で過ごす生活」をイメージすると分かりやすいだろう。居住に近い形の「拠点」があるのが旅行と違うところだ。

従来は、豪華な別荘が持てる富裕層や、仕事がなく時間に余裕があるリタイヤ組が楽しむものだというイメージがあったデュアルライフ(2拠点生活)ですが、近年は空き家やシェアハウスを活用して、20~30代のビジネスパーソンやファミリーがデュアルライフを楽しみ始めています。

リクルート住まいカンパニー「SUUMOが注目する住まいの兆し『デュアラー』 都心と田舎の2つの生活=デュアルライフ(2拠点生活)を楽しむ人」https://www.recruit-sumai.co.jp/sumai/2019_dualer.html

国土交通省でも「二地域居住」という言葉で同様のライフスタイルを推進している。

国全体で人口が減少する中、すべての地域で「定住人口」を増やすことはできません。
そこでこれからは、都市住民が農山漁村などの地域にも同時に生活拠点を持つ「二地域居住」などの多様なライフスタイルの視点を持ち、地域への人の誘致・移動を図ることが必要となります。
国土交通省では、「二地域居住」の推進を図るための情報発信等を行っております。

国土交通省「地域振興 活力と魅力のある地域づくり」
http://www.mlit.go.jp/kokudoseisaku/chisei/kokudoseisaku_chisei_tk_000073.html

これからは、働き方も余暇の過ごし方も人それぞれ。様々な理由からデュアルライフを選ぶ人が増えていくのだろう。

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きっかけは「なし崩し」、結果としてのデュアルライフ

この3年間、私はデュアルライフに近いスタイルの生活をしている。
週に2~3日、泊まりで実家に滞在し、一人で暮らす父に食事を作っているのだ。

始まりは「なし崩し」だった。

母が入院していた頃、父は毎日見舞いに行き、何時間も病室で母に付き添った。
そんな父の体調が心配で、数日ごとに自宅と実家を行き来して家事と料理をしていた。

母が他界すると、今度は父の精神的なショックと食事が心配で、引き続き実家に通った。
今は父も元気を取り戻しつつあるけれど、あまりに寂しがり、いくら食べさせても体重が減るので、そのまま実家通いを続けている。

私の「デュアルライフ」は家庭の事情により結果的にそうなったもので、厳密には定義から外れるのだろう。

そうしてやむを得なく始めた「なんちゃってデュアルライフ」だが、父の状況が深刻でないこともあり気楽に楽しんでいる。

電車とバスを乗り継いで山のふもとへ

実家は神奈川県西部にある。山の多い地域で「田舎」と呼んでも差し支えないだろう。

移動は電車とバスで1時間半。同じ沿線に自宅があるのが救いだ。
荷物が多いので、電車で座ることができるようにラッシュの時間を避けて移動している。
行きの移動は平日の日中で到着したら夕飯の支度をし、帰りは平日の夜で夕飯を食べてから自宅へ向かう。

バスの本数が少なく接続の悪さにいつも泣かされているが、それが田舎。仕方がない。

車の運転ができれば移動が一気に楽になるが、私は完全なペーパードライバーなので運転するのは不安だ。社会のためにも運転はしないことにしている。

荷物を積んだ自転車
坂の多いこの町では電動アシスト自転車は必需品。

父の自立をゆるやかに見守る

幸い、今のところ父は介護を必要としていない。掃除や洗濯などの家事は自分ですることができる。
私がするのは買い出しと料理が中心なので、滞在中は自由な時間も多く気楽なものだ。

私のいない日には、父は近所のスーパーで総菜やお弁当を買って食べているので、特別な作り置きの料理も用意しない。
親の面倒をみるといっても私のしていることは楽な方だ。

こんな日々が思いがけなく長く続いているが、今のこの生活は一時的なものだと思っている。

父は来年80歳。今後も身の回りのことを自分でできる状態が続けばありがたいけれど、想定外に老化が早く進むかもしれない。突然倒れることも十分考えられる。
そのときには実家に戻ることも現実的な選択肢として考えざるを得ない。

今は実家で一緒に過ごす時間を通じて、父の心と体の状態を見守っている。

父はただもう喜ぶばかり。私が着くといつもほっとした顔をして燗をつけはじめるのだ。

快適な滞在には「装備」が重要

この生活をしばらく続ける覚悟を決めたときから、滞在中の「装備」を少しづつ揃え始めた。

化粧品やシャンプー類、充電ケーブル、実家で着る服などを持ち込んだ。おかげで移動するときの荷物がいくらか減り、忘れ物をするリスクも減った。

キッチン周りの道具などは自分の使いやすいものを買い足し、ストレスなく家事ができるようにした。

電動歯ブラシやドライヤーなど、愛用の家電を思い切って実家に買った。
結果的に正解だったと思っている。

リュックで持ち運べる13.3インチのノートPCとミラーレス一眼カメラを買い、実家にWi-Fiを導入。
簡単な作業なら実家でもでき、空いた時間を有効に使えるようになった。

逆に言うと、実家に滞在するのならそのくらいの準備で十分快適に過ごせるということだ。

食べ物事情は「都会と田舎のいいとこ取り」

「デュアルライフ」の魅力はなんと言っても食べ物事情の良さだ。

実家通いを始めてから私の料理の腕は何段階も上がったように思う。

都会で調達した珍しい食材や気に入っている調味料を持ち込み、田舎の新鮮な野菜や肉、魚を広いキッチンで調理する。

野菜は大きな直売所のほかにも農家の庭先でも買うことができる。
水の滴る大きなレタス、味の濃さがまるで違う旬の枝豆やとうもろこし。
種類の豊富なトマトやイモ類。やわらかく瑞々しい春キャベツ。
キクイモや四川きゅうりなど、新しい野菜をいくつも知った。

直売所では県内産の肉が手に入る。
実は神奈川県でも牛肉や豚肉を生産していて、価格の割に味がいい。

地元で作った豆腐や油揚げ、キムチも新鮮で、しかも安い。

海のない街だが、小田原港や相模湾の新鮮な魚がスーパーに並ぶ。
毎週作っている「魚の日」は父のいちばんの楽しみだ。

水のおいしさも忘れてはならないこの町の魅力だ。

「いいとこ取りのハイブリッドなスタイル」だということに気が付いたとき、料理に対する意識が変わった。

滞在中には買った野菜をなるべく使いたいので作る品数も多く、キッチンに立つ時間も長いが、自宅で作れない手のかかった煮込み料理にチャレンジしたり、普段買わないような魚を捌いてみたりして、楽しんでいる。

新鮮な地場野菜
直売所で新鮮な地場野菜を買うのが楽しみの1つ。

外食事情については言うまでもなく都会の方が環境がいい。

田舎ではもともと店が少ないうえに、車での移動を前提に街が作られているので、良さそうな飲食店はロードサイドに集中している。
私と父がそこに行くにはタクシーを使わなくてはならず、なかなか踏み切れない。

それはそれと割り切って、外食は近くの大きな街や都内ですることにした。
私の発掘したお気に入りの店に行くのを父も楽しみにしていて、泊まりがけでやってくる。

離れてわかった自然環境のすばらしさ

空気の良さと緑の多さは田舎ならではのもの。
高校卒業まで実家で暮らしていたが、当たり前すぎてそのありがたさは気が付かなかった。

普段聞かないような変わった鳥の鳴き声や、風で枝や葉の揺れる音。
西には雪を被った富士山が見える。

富士山と桜
あまりの美しさに自転車を降りて撮影。

静かな環境でゆったりと過ごす時間の贅沢さ。

狭いマンションとはいえ自宅よりは居住スペースが広く何事にも集中できる。
文章を書いたり、撮った写真を加工したり、そういった作業は実家での方が捗るだろう。

少し足を延ばして低山に登った。子どもの頃に遠足で登った山だ。
桜が満開の時期。新緑の濃厚な香りを体いっぱいに受けて、心まで浄化されたようだ。

弘法山公園

キャンプや釣りが好きな人なら最高の環境だろう。
家のすぐ裏を散歩すれば小川が流れる田舎の景色が広がる。

学生の頃は退屈だとばかり思っていたこの街の良さをいくつも発見し、だんだん愛着が湧いてきた。

都会に住むということ

泊りでの移動は私にとっても負担が大きいが、しばらくは都心にアクセスのいい地域に住んでいたい。

都会の良さは「インフラ」にある。
公園や公共施設など、文字通りのインフラと、商店や飲食店、文化的な催しなどの広義のインフラ。
その両方において都会は圧倒的な力を持っている。

図書館や書店、スポーツクラブ、専門店。徒歩圏だけでも充実している。
ネジや文房具など、ちょっとしたものを手に取って選ぶことができるのはありがたい。

焙煎したてのコーヒーを飲む楽しさは実家では味わえない。
飲食店の多さとグレードは格が違う。これが楽しめなくなったら悲しい。

美術展やイベントなど、文化的なものは全て都会に集まっていると言っても過言ではない。

そしてこれから年を重ね、医療の選択肢の多さも重要になってくるだろう。

都会に住むもう一つの良さは「チャンスの多さ」だ。

会いたい人にすぐ会いに行ける。
チャンスはいつも人と人の直接の出会いから生まれるのだ。

仕事の機会やバリエーションも多い。
特に新しく何かを始めるときに有利なのは、環境が充実していて人の縁も多い都会だろう。

新しい働き方のスタイルを探して

実家通いを始める前、私はパートで勤務していた。今は長期の休みをもらっている。
自宅に戻っている間、週2日程度働いていたが、帰宅するといつもくたくた。特に都心への通勤が辛く消耗した。

実家と行き来するこのスタイルの生活を今後も続けていくためには、どうしていったらいいのだろう。

今年、単発の在宅ワークを経験した。
自宅と実家と、場所が変わっても全く問題なく作業に集中できて、可能性を感じた。

在宅ワークと自宅付近でのパートを組み合わせてやっていけないだろうか?
今も模索が続いている。

PC一式とカメラ、書類。リュックはちぎれそうだがなんとか電車で持ち運べる。
時代は変わった。

体力面ではなかなかハード

今のこの生活にも問題はある。

1つは体力面での負担。

中年の私にとって、実家との行き来はなかなかハードだ。
食材、仕事の道具、読みたい本、スポーツウェア…つい欲張って荷物が多くなってしまう。
大きなリュックと手荷物2つを持って駅のスーパーで食材の買い出し。
試行錯誤を繰り返しているが移動はどうしても疲れる。

疲れが溜まったときや連休などには、実家行きを休ませてもらうこともある。完璧を目指さないことが長く続ける秘訣だと思っている。

もう1つは運動不足だ。

田舎の夜は暗くて人気がない。父の心配もあり、外出はなるべく日中に済ませるようにしている。

実家にいると日没前から晩酌が始まる。ビールと焼酎を飲んで、おなかいっぱい食べて、家から出るのはいよいよ億劫になる。

この問題についてはもう少し頑張りが必要だ。なんとかしないと体が重いぞ。

周囲の理解と協力があってのデュアルライフ

この生活にあたっては、父にも同居人にも寂しい思いをさせている。

特に同居人には、植木の水やりや荷物の受け取り、置いていった服の洗濯など、私の不在で負担がかかっている。
冷蔵庫の中身が傷まないように使っていかなくてはならないのがストレスだと知って、はっとした。

私が家にいるときには食事を作ってくれる。
私の個人的な考えで続けている生活スタイルをサポートしてくれることに感謝するばかりだ。

全て自分でやろうとするといずれ無理をすることになるだろう。
人に任せること、サービスを利用することも考えていきたい。

父にも少し我慢してもらうことがあるかもしれない。

私はたまたま仕事の都合がつき、周囲の理解もあり、この生活が可能になった。
フルタイムの勤務だったら、子どもがいたら、今のようには動けなかっただろう。

この先、父と私を取り巻く状況が変わっていくだろう。
この生活がいつまで続けられるかわからない。

古い考えや固定概念にとらわれず、知恵と工夫をもって、明るい気持ちで挑戦していきたい。

みんなが笑って暮らせるように。

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