【11】遺影をつくる

遺影というものが苦手だ。

実物より大きな顔や、不自然に修正された服装や背景を見ていると、落ち着かない気持ちになってくる。

自宅で療養していた8月、母は一日中寝て過ごすことが多かった。起き上がって話せる体調ではなかったこともあり、私や妹が実家へ行くことは断られた。

私は仕事を休んでいたのでエネルギーを持て余していた。
楽しいことをする気持ちにもなれず、考えるのは母のことばかり。


少し早かったけれど、遺影の写真を選ぶことにした。

写真はすぐ決まった。母のカメラにあった一枚。
「ベレー帽を被った写真がいいな」という父の希望にぴったりなもの。

バス旅行で父と一緒に撮ってもらった写真だ。背景は山、ベレー帽を被った母がいつもの楽しそうな笑顔でこちらを見ている。

葬儀で使う遺影のフレームも自分で作ってみたくなった。

気になった3本の銀歯はPhotoshopで修正。我ながら上出来。
シミ、しわはそのままに。気持ち良さそうな山の風景は生かして。ダウンジャケットやリュックはそのままにした。

家電量販店のデジカメプリントサービスで写真を2Lの大きさに引き伸ばした。葬儀で使うには少し小さいサイズだが、家に置くのに程よい大きさだ。
祭壇に置いた時に収まりがいいように、余白の広い大きめのフレームを選んだ。

フレームに写真をセットしたが何か寂しい。そこで、ユザワヤで押し花のパーツを買い、写真を囲むようにフレームの台紙に花を貼り付けた。

押し花を飾ったフレーム

思った以上にいいものができてしまった。

母のかわいらしさを母らしい形で表現できたし、期待以上にしっかりしたものができた。
こんなにうまく作れたのに母に見せられないことが残念だった。
「この花をこう貼れば自然なカーブになったわよ」なんて親切だか何だか分からないドライなコメントがあっただろうに。

もう一つ、スナップ写真を10枚入れた大きなフレームも作った。
いい顔をしている写真は私の撮ったものばかり!
でも10年以上前のものしかない。近年は父と2人で旅行に行っていたので、写真を撮るのが母だったのだ。
なんでもない普段の様子こそ、撮っておいたら寂しくなくてよかっただろうな。


写真のフレームを作っていくらか気持ちが収まったが、引き続き母の体調が悪く、会いに行くことはできなかった。

葬儀で次に違和感を感じるものは音楽だった。オルゴールの優しい曲や暗いクラシックは母に似合わない。
(葬祭業者の用意する音楽が思いがけなく感じのいいものであることを後から知るのだが)

悲しくなくて、母が気に入りそうなものを。

実家のCDにはふさわしい曲がなく、新たに探すことにした。
吸い寄せられるように目に留まったCDはオーケストラ演奏による映画音楽。しっとりしていて美しく、懐かしい感じがして心が安らぐもの。

ヨーヨー・マ プレイズ・モリコーネ
「ヨーヨー・マ プレイズ・モリコーネ」映画音楽界の巨匠エンニオ・モリコーネの作品を彼の指揮のもとにチェリスト、ヨーヨー・マが演奏。
ヨーヨー・マ・プレイズ・モリコーネ

他に、出棺用として母の好きなアーティストの曲を選んだ。

私は依然、エネルギーを持て余していた。

無宗教の葬儀では読経がなく出棺までに時間がある。その間に見てもらうスライドのために画像を集めた。

みんなで食べた寿司、メッセンジャーで送った花の写真、ポットや座椅子などの買ったもの、空、カレンダー、何気ない普段の写真。

また、会場に飾るために、母が作ったパッチワークやトールペイントの作品を揃えた。

気が済むまでやりたいことが済んだら、安心するとともに、心が安らいだ。
頭を使い手を動かして母のために何かをすることが、私にとってのグリーフケアの一つとなっていたようだ。できることをやり尽くして、母との最後の時間をゆっくりと過ごすことができたから。

その後、母は点滴で命をつなぐようになったが、予想以上に長い期間持ちこたえた。

死後の準備を始めると母が頑張る。そんなジンクスを私は感じ始めていた。


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