さみしさはどこへいくのか

最近、父のことをずっと考えていて、なかなか答えが出ないでいることがある。

それは「さみしさはどこからやってきて、どこにいくのか」ということだ。


今、私は週に2~3日、泊まり込みで実家に行き、父に食事を作っている。
幸い父にはまだ介護の必要はない。
何をするでもなく、ただ一緒に過ごしてごはんを食べる。

始まりは母の入院だった。
高齢の父が慣れない病院通いで疲れているのが心配で、毎週実家に行って様子を見ていた。

しばらく喜んでいた父だが、あるときから「いいよ」と遠慮しだした。
そこを「まあまあ」となだめ、そのまま3年間通い続けている。


私が実家に行くと、父の第一声は決まって「すみませんね」
しかし、そのあとすぐに「やっぱりどうしてもあんたに頼っちゃう気持ちがあるんだよね」と言いながら早々に燗をつけだす。

父の心は、「さみしい」「頼りたい」「迷惑をかけてはいけない」「自立しなくては」「前向きにならなくては」の間で揺れ動いているのだ。

家族4人と猫1匹で暮らしていたころ、父は私たちのやり取りを聞いて「ふふふ」と笑っていて、それほど話す方ではなかった。

今の父からは感情がだだ漏れだ。
酒が入ると一層よくしゃべる。
晩酌しながら母に「うれしいね」「おいしいね」「よかったね」。
私と妹に宛てたメッセージでは「さみしい」と感情をストレートに表現する。

父が気持ちを言葉にできるタイプでよかった。

しかし、聞いた私はいつも胸がいっぱいになり、いろいろ考えてしまう。

私が都合で実家に1週間行けなかったとき、父が言った。
「2週間は長かった…」

(実際は11日。困ったものだ!)

父は自分ではどうしようもない孤独と母を失ったさみしさを一人で抱えきれず、心をぱんぱんにして暮らしているのだ。


私の同居人が実家に来てくれたとき、食後のお茶を飲みながら父は言った。

「申し訳ない」
「半分彼女を取ってしまってすまない」
「でもあと少しだから我慢してね」

私の実家通いは当分続くことになりそうだ…。

続けて父は言った。
「今週は気力が落ちていたから来てくれて助かった」
「昔は暇なときはパチンコとか外に出ていく性分だったけれど、そういうことをする気力がなくなってしまった」
「昔ほど集中できなくなった」

頭と体が衰えていく中で、父は精一杯気力を保とうとしている。

「ごはんも嬉しいけれど、人の気配やぬくもりがありがたい」


父の性格やこれまでの習慣を考えると、勧められても習い事に行ったり、高齢者の交流の場へ行ったりしたいとは思わないだろう。

そして、父の願いはお金では買えない。
本音は「できれば家族と一緒に過ごしたい」のだ。

私にも私の生活がある。
そもそも実家へ通うことは一時的な対応だった。
体力的にも、仕事のことを考えても、今のこの状態が精いっぱいだ。

私には妹がいるが、多忙でなかなか実家に来られないでいる。

父の心と体はこれから衰えていく。
そのとき私はどうなっていくのだろう。

父もまた「家族に迷惑をかけたくない」と思っている。
私が同居や近居をすれば喜ぶだろう。
その一方で、私の人生が不本意に変わることを望まないのではないか。

父を呼び寄せることも考えたが、父は母との思い出が詰まった今の家で過ごすことを選ぶだろう。


「さみしさはどこからやってきて、どこにいくのか」

油田から石油が湧き出るようにいつまでもあふれ続ける父のさみしさ。
父自身も気持ちの整理がつかないでいる。

正直に言うと私は父のそんな気持ちのすべてを理解できていない。
なぜいつまでもそんなにまで強い感情が続くのか。

これは、どこにでもある話だ。
一人で暮らす高齢者はいくらでもいる。

小さいけれど近所にはスーパーもあるし、宅配の弁当だって頼むことはできる。

しかし、今すぐに父が自立することは現実的ではない。
これまでの生活や気持ちの連続性の中で、軟着陸させていかないと心がついていかないだろう。

父は私にとってかけがえのない存在で、人生の大先輩だ。
「お年寄り」と決めつけて扱いたくない。
人として敬意をもって接し、本人の意向はなるべく尊重したい。


同居人は言う。
「何も悪いことをしていないのに謝るのは気の毒だ」
「高齢者が長生きすることに気を遣わせない社会でないと」

まったくそのとおりだ。
ただし、若い人たちに無理をさせない範囲での話。
皆が少しずつ譲り合って持続可能な関係を作っていくにいはどうしたらいいのか。

一人で暮らす高齢者がどんな気持ちを抱えているのか、もっと知りたい。
これから数回にわたり、私の学んだことを情報共有できるような記事を書いていきたいと思う。

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