テレビで毎日伝えられる東京都の感染者数がじわじわと減ってきた。
新型コロナウイルスとの戦いは長期戦となりそうだ。
それでも今は、流行の段階と行動のスタイルのそれぞれが変わっていく節目のときを迎えているように感じる。
世界中に未知のウイルスが広がっていくという信じられない出来事が起こった。
冷静でいようと思っても無意識のうちに心と体が情報の圧に負けていく。
きっと私だけではないだろう。
幸い、社会の状況はいくらか落ち着きつつあり、「アフターコロナ」という言葉もよく聞くようになった。
私のコンディションも回復傾向にある。
混乱の日々に私が感じたことと、ストレスとどのように向き合ってきたかについて振り返る。
もくじ
「コロナ」の訪れは春風とともに
2月、私はインフルエンザに泣いていた。
病み上がりで体力が低下しているところに新型コロナウイルスの流行開始が重なり、タイミングが違えば病院にも行けないところだった。
人でいっぱいの新宿のカフェで仕事の打ち合わせをするのが怖かった。
そうはいっても、あの頃は「2003年のSARSを思い出すな」「中国は大変だな」とまだまだ他人事だったように思う。
念のためにマスクを買ったけれど、「皆も必要だろうし、そのうち入荷されるだろう」と思い1箱に留めた。
(まさかこんなことになるなんて!)
3月に入ると世の中は次第に騒々しくなり、イベントや打ち合わせなどの予定が次々にキャンセルに。
予定していた仕事もペンディングになってしまった。
突然ぽっかりと空いた時間で掃除をしたり、近所を散歩したり、買い出しをしたり。
「これからどうなるのだろう…」
先行きの見えない状況に戸惑っていた。
そうはいっても、春の気配を感じると人の心は躍る。
大きな公園や桜の咲く通りは人でいっぱい。
手洗いやマスクの着用など、気を付けることはあったけれど、私もそれなりに春らしさを満喫した。
天気に恵まれた3連休を楽しむ人々。
世の中はまだのんびりした空気に包まれていた。
愛する日常が失われていく!
3月25日、東京オリンピックの延期が発表される。
その頃からスーパーで食料品の品切れが始まった。
それは私にとって強烈なストレスを感じさせることだった。
あのとき買い控えたマスクは結局転売屋に流れていった。
誰もがデマとわかっているのにいつまでも見ることのないトイレットペーパー。
スーパーの棚にぽっかり空いたいくつもの穴。
マスクはもちろん、アルコール類、体温計、解熱剤など、今すぐに必要なものが次々と消えていく。
初めての事態にショックを受けた。
ウイルスより人が怖い。信じられない。
次は何がなくなるのだろう…。
買い物も心理戦となった。
いかに情報を入手して相手(!)を出し抜くか。
スーパーがピリピリした空気でいっぱいになった。
志村けんさんが亡くなられて、世の中の色が変わった。
緊急事態宣言が今日にでも出るとか出ないとか。
発令されたら生活はどう変わるの?
4月7日、東京都など7都府県に緊急事態宣言が発令された。
シャッターを下ろす店が増えた。
カウンターの奥で居酒屋の大将が頬杖をついている。
一歩外に出ると、どこで何をしていても悪いことをしているような気持ちになった。
強いストレスに反応する心と体
3月末からなんとなく体の調子がおかしかった。
喉の痛み、気道の違和感、軽い咳、微熱。
今思えば何か軽い風邪にかかっていたのかもしれない。
神経質になっていて症状を気にしすぎていたのもあるだろう。
ある日、ついにいら立ちがコントロールできなくなった。
朝から近所をあてもなくぐるぐる歩き回った。
うっかり(?)トイレットペーパーとマスクを見つけてしまって家に引き返し、そのまま落ち着いたのだが、強いストレスを抑えきれなくなっている自分に驚いた。
東京都の感染者数のピークは4月9日の266人だったとされる。
膨れ上がる数字に怯えていた。
他国の感染状況を見ていると、日本国内の感染者数も無限に増えていくように思えた。
感染者数がどうしても気になり、毎日数字を追い続けた。
最悪の事態を想定しはじめた。
ウイルスを目で捉えることはできない。過去の経験もほとんど役に立たない。
いくらでも悪いストーリーが書ける。
もし、自分や家族、大切な人が感染したら。万が一のことがあったら。
「残された人が困らないようにエンディングノートを書いておかないと」と考えるほど気持ちが追い詰められていた。
最初は「『コロ休み』で普段できないことをするぞ!」と意気込んでいたけれど、緊迫した非日常に心も体もすり減っていた。
世の中はいよいよ混乱し、感染の状況も経済も先行きが全く見えない。
私の仕事はどうなってしまうのだろう。
いろいろな意味で「宙ぶらりん」という言葉がぴったりだった。
この頃の私の頭の中では、コントロールできることとそうでないことがごちゃ混ぜになっていた。
よくわからない根拠(のようなもの)で行動が制限されることにもいら立ちを覚えた。
何をしていても人からどう見られるかを気にするようになった。
窮屈で息が詰まる日々。
私はもともと週の半分を実家で過ごしている。
タイミングを慎重に見計らって、静かに実家へ移動した。
実家で過ごすようになってから数日間は寝てばかりいた。
日中に寝てしまったり、夜中や早朝に目が覚めてしまったり。
そして、何をするにも気が散って仕方がなかった。
本を読んでも頭に入らない。ノートPCにはほこりが積もった。
そんな時期が半月ほど続いただろうか。
夜中に間食してしまう困った癖もすっかり戻ってしまった。
知らず知らずの間に、そして自分の思った以上に、疲れ切ってしまっていたのだ。
ストレスケアとその後の変化
まず変えたこと:ストレスを「放出」する
制限をしない
2月のインフルエンザの後、自分に課している全てのノルマと制限をやめた。
脳はキャパオーバーの状態だ。
まるでダムを緊急放水するように、電源プラグを抜いて強制終了させるように、あらゆるストレスになるものから自分を解放した。
「がんばらない」
「ダイエットしない」
「食べたいものを食べる」
「お酒を飲みたいだけ飲む」
「気乗りしないときに本や新聞を読まない」
「役に立つことはしなくてもいい」
「あとでもいいことは無理をしてやらない」
これは今も続いているが、さすがに3か月が過ぎ元気が戻ってきたので、少しずつ普段の習慣を取り戻している。
次にしたこと:感覚に耳を澄ます
情報を選ぶ
信頼性の低い医療情報、わかっていることを何度も繰り返す感染防止の情報、デマ、今する必要のない不毛な議論、悪意のある発言…。
シャワーのように降り注ぐ雑多な情報に疲れ、脳が判断することを止めてしまった。
これは危険な兆候だ。
なるべく情報を選び、信頼できそうなものだけを取り入れるように心がけている。
疲れたときに心に効くのは「他愛もない」話題だ。
料理、花、猫や犬、笑える話や思わず頷くぼやき。
正しくて「行儀のいい」発言ばかりを目にして、正直に言うとうんざりしてしまった。
ちょっと不謹慎な発言が混ざっているくらいがホッとする。
いつもと同じことをしたい。
愛する日常を失いたくない。
震災のときと同じことを今もまた感じている。
友人とオンラインで交流
皆、家で時間を持て余しているようだ。
友人や知人との交流が、デジタルのおかげで活発になった。
ニューヨークの友人の無事を確認したり、お気に入りのアマビエの画像を送り合ったり。
Facebookの投稿も増えているように思う。
何気ない日々の様子や考えていることなど、気の合う仲間の投稿は読んでいて心が和む。
オンライン飲み会にはあまりハマらなそうだけど、これからこうした機会が増えていくだろう。
人と交流する手段が増えるのは私にとって良い変化だ。
特に実家のような田舎の街ではありがたい。
そして、こんなとき、人の気配があることに、どれだけ気持ちが助けられたか。
食を楽しむ
外出できない、人と会えない。
家の中でできる楽しいことと言えば、やっぱり食べること!
実家に毎週通う私にとってここで食事の支度をするのは「通常運転」なのだが、滞在日数が長く人数も3人に増えたので、できることの範囲が広がった。
材料をいろいろ買い込んでも使いきれる。
時間はあるから煮込み料理をする余裕もある。
新鮮な魚のある遠くのスーパーまで歩いても良し。
結果、全員がみるみる元気を取り戻した。
食事が一日の楽しみになり、生活の彩りとなった。
もちろん体調は良く、3人それぞれがアクティブに過ごしている。
食べることを生活の中心に置いたライフスタイル。
これからも続けてもいいかもしれないな、と思った。
都内の自宅にいるときはテイクアウトを楽しんだ。
以前から気になっていた店の料理も持ち帰りなら気軽にチャレンジできる。
馴染みの店を応援するという意味もある。
大好きな街の中華屋さんの店主も弱気になっている。
まったく災害みたいなもので、気の毒でならない。
世の中が落ち着いたあとは在宅で仕事をするつもりだ。
持ち帰りの料理をうまく取り入れると食卓に変化が出て楽しそうだ。
テイクアウトの習慣は今後も根付いたらうれしい。
運動:ウォーキングと筋トレ
外出を禁じられると急に窮屈になる。
とにかく光を浴びたい。風を体に感じたい。
ベランダに椅子を出してコーヒーを飲むだけでもいくらか気が紛れた。
人の少ないルートを選んでウォーキングをするのが日課になった。
体を動かすと一日体調がいい。何を食べてもおいしく、頭の中はクリアーで前向きに、夜は気を失うように眠る。
公園に行くときはエクササイズバンドを持っていき、軽い筋トレやストレッチもしている。
考えてみれば、もともとウォーキングと筋トレの習慣があるので、いつもと同じことをしているのだった。
時間があっという間に過ぎてしまうのが運動の難点。
10,000歩のウォーキングと買い物で午前が終わってしまうではないか!
そして、徐々に体力がついてきて、歩くだけでは物足らない。
膝を傷めていてランニングができないのが残念だ。
プールに行きたい!エアロビがしたい!
自然にふれる
美術館にも行けなくなってしまい、美しいものに飢えている。
植物は圧倒的に美しい。心の栄養だ。
緑の多い道をなるべく歩くようにしている。
梅、サザンカ、モクレン、菜の花、桜、ツツジ、ハナミズキ、藤、ネモフィラ、ウツギ、バラ、これからはアジサイ。
「写真」フォルダは季節の花でいっぱいになっていく
実家のある街は山が近く自然が多い。
朝起きると、都内で聞くことのないような鳥の鳴き声に包まれる。
そんな静かな場所にいると、ピリピリしたあの緊張感を少しの間忘れることができる。
この環境をありがたく思う。
睡眠の質を上げる
最近は22:00になると眠くなってしまう。
日中にしっかり体を動かしているからか、夜中に目を覚ますことが少なくなった。
いつも頭がすっきりしていて、気持ちは明るい。
ウォーキングが睡眠に効いている実感がある。
日常的に運動の習慣をもつことで睡眠の質が改善されることがわかっている。
寝つきが良くなり、中途覚醒が減り、睡眠時間が長くなる。
運動の習慣が睡眠の質を改善することは、海外の研究で確認されている。長期的に運動を続けることで、寝つきが良くなり、夜中に目を覚ますことが減り、徐波睡眠(入眠直後に訪れる最も深いノンレム睡眠。成長ホルモンが分泌され、細胞が修復される)が増え、全体の睡眠時間が長くなるという。
日経ビジネスオンライン「運動の習慣で『睡眠が若返る』!寝付きや睡眠の質を改善、まずはウォーキング・階段から」
〔関連記事〕運動と睡眠、ストレスの関係について
そして心が変わりはじめた
感覚に耳を澄まし、特に体のケアを中心とした生活にシフトしてから1か月が過ぎた。
全ての制限から自分を解放し、脳を休める。
きちんとした食事と、適度な運動と、質の良い睡眠。
当たり前のことをしただけだ。
目の前のことを楽しめる明るい気持ち、
情報を適切に収集して考えることのできる集中力、
課題に取り組む意欲。
そういったものが一度に戻ってきた。
「体は心に先行する」「心は体についてくる」というのは本当だった。
体へのアプローチがこんなに効果があるとは。
こうして記事を書くことができるようになってきたのも元気が戻ってきた証拠だ。
そうしているうちに、感染症の流行と世の中の混乱に対しても気持ちが変わってきた。
終わりのないウイルスへの恐怖は「考え過ぎても仕方がない」に。
(もちろん、ウイルスに対する警戒はポイントを押さえてきちんと、十分に!)
自分の先行きが見えない不安は「ノンポジションなのは運がある」に。
今の仕事はなくなったが、私には在庫もなければ店舗もない。従業員もいない。
ゼロからスタートできるのは、今はむしろラッキーなくらいだ。
社会も、個々のライフスタイルも、今まで見たことのないような速度で変わりつつある。
この変化はきっと良いものになるだろう。
私も次に始めることは新しいことにしたい。
今できることをして、潮目が変わる様子を伺いながらチャンスを待つ。
「『コロナはおいしかった』でもいいんじゃない?」と父は言う。
私にとっての「コロナ」はどんな時間になるのだろうか?
〔関連記事〕私のストレスコーピング(対処法)「100の気晴らし」リスト