母の最初の入院を知って実家に帰ったとき、まず心配したのは冷蔵庫の中身のことだった。
「ぬか床!」
慌ててかき混ぜた。急な入院だったこともあり、きゅうりが漬かったままだったが、ぬかは無事だった。
退院後、母は自宅で療養していたが、時々はキッチンに立っていた。その頃、ぬか床の手入れについて訊ねた。
一通り教えてくれたあとに母が一言、
「ぬか床はまた作りなさい」
父も好きな母のぬか漬け。ぬか床は当然私が引き継ぐものと思っていた。
母が何を意図して言ったかは定かではないけれど、母は、残された家族がこれまでのやり方や環境に執着することを望まず、自由に工夫して生きていくことを願っていたのかな、と今は思う。
その後、容態が不安定になり、目の回るような慌ただしい日々が続く。
自宅と病院、実家への行き来に追われ、ぬか床に気を遣る余裕がなくなってきた。
最後の入院をしてから1か月が過ぎた頃、思い切って様子を覗いてみた。
ぬか床は生きていた!
少し酸っぱくなっていたけれど、こまめに混ぜると匂いも戻り、きゅうりがおいしく漬かるようになった。
これから、やれる限りぬか床を混ぜてみよう。
生きているものだから、だめになっても仕方がない。
「母の味を守る」とか、そんな大それたことは考えず、ただ引き継いで、父に食べてもらおう。
ぬか床は今も現役。どうだ、母よ。やるだろう。
冷蔵庫で保存しているので週に一度混ぜてやるだけでうまく付き合えている。
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