病院と実家とを行き来する日々の中で心がけたのは「休養日を確保する」ことだ。
少しでも時間があれば病院に行きたがる父と、仕事と家事で余裕がない妹のどちらが倒れても対応できるように、意識して休息を取るようにした。
病院にも無理をせずゆっくり向かったし、病室から出てコーヒーを飲んで一息つく時間を取った。
それでも出かける前には気持ちが急いてしまっていたようで、同居人から息を整えるようにと言われた。
母の病気がわかってから、心の中に、悲しみの大きな塊を飴のように細く長く伸ばしたような妙な感覚があった。同時に、いつ何が起こるかわからず、いざという時には数日間にわたり対応や手続きに追われるという緊張感も常に意識の中にあった。
そのような状況の中で、いつもと同じ「普通の日」を過ごすことは簡単ではなかったが、努めて保とうとした。
歩いている時に目にする花や、空の様子やひんやりした空気から季節の移り変わりを感じ取り、途中にある直売所やお気に入りのスーパーで買い物を楽しんだ。
なるべく未来のことを考えるようにした。これからの仕事のこと、洋裁や編み物などの趣味の計画、健康診断や手続きなどの用事の書き出し、生活に必要な買い物の計画など。
先のことを考えると、クリアーで健全な気持ちを取り戻すことができた。
そうはいっても、不安や緊張、自由を奪われた感覚が生むストレスは大きかった。そのはけ口となったのが「食べること」だ。
ビールや焼酎、ようかんや菓子パンなどの甘いもの、パスタやグラタンなどの糖質や脂質の塊のような食べ物。慣れない外食も続き、痩せていく父と母の分、私がじわじわと太っていった。
自宅に帰るとどっと疲れが出て外出する気力がなくなり、運動量が減ったことでカロリーはいよいよ消費されなくなった。
ストレスでショッピングに走らなかったのが不幸中の幸いだった。
仕事を休んで病院通いをする日々が続くにつれ、自分の話すことが家族と病気のことばかりになっていくのに気付いた。友達にも積極的に連絡は取らなかったし、同居人にも申し訳ない気持ちがあった。
うっかり頭に浮かんでくる不謹慎な考え、例えば「母の趣味の道具で何をしようか」とか、「母の部屋のレイアウトをどうしようか」とか、そんな考えが頭をよぎり、打ち消すことが何度もあった。
そんな時、Twitterで他愛もない話をできることが気持ちの救いになった。
今から思えば、不謹慎なくらいがちょうどいい。
深く悲しみ楽しいことを排除して日々を過ごすことは、何のためにもならないし、母も喜ばないだろう。明るいことを考えられる気持ちが自然に起こってくることは、生きるエネルギーが残っている証拠。長丁場を乗り切るには愉快な気持ちを保つのも戦略の一つだ。
そうは言っても、実際には娯楽を楽しめる気分ではなかった。
しなかったことがいろいろあった。遠出、祭りやイベント、約束して人と会うこと、本を読んだり絵を見たりすること。
中でもファッションや身だしなみに対する意欲の減退が大きかった。
病院と実家との往復、予定の立たない日々。電車での長時間の移動と、実家への宿泊。制服のように同じ服を着続けた。暑さや寒さに対応できる、動きやすくて汚れてもいい服を。
自宅に帰っても、バッグから最低限の物を取り出して簡単に身支度を済ませた。まるでホテルで暮らすように。
それだけ、のんきな気分でいることが難しい、緊迫した状況だったのだろう。
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